結局、読まないといけない本はそこまで多くないのだ。
月に平均4~5万円を書籍購入に割いている。漫画を除くと4万円ぴったりぐらいだろうか。
一冊あたり1000円だとして、月に40冊。年間500冊程度を購入している計算になる。
(Amazonのセール一回につき10-20冊ぐらい買っているからなあ)
じゃあそれだけの本をしっかり読んでいるのかというと、そうとは全く言えない。
一度も読んでいない本もたくさんあるし、一度しか読まない本というのは決して身についたとは言えない。二度以上読んだ本しか読んだとは言えない、とは誰の言葉だったか。
そこで、他の積読家と同じく、考えた。
- どうすれば大量の本を読んで、しかも身に着けることができるのか
そして、他の読書家と同じく、考えた。
- 分からなければ、本に尋ねればよい。
(ただし、読んでも身に着けられないリスクがある)
選んだのはこの二冊だ。
『読書について』は、
本を読むのではなく考える>>古典を読む>>(越えられない壁)>粗製乱造の現代本を読む
という旨のことを言っている。読書について、というタイトルでありながら、本を読むひまがあるなら考えることに時間を費やそう、ということを言っているのだから、なんともひねりが効いている。
考えることはたくさんあるのに、本を読んでいてたら考える時間がなくなってしまう。せめて時間の試練に耐えた古典であれば読む価値は保証されているが、そうでない現代の書籍はその価値もない、有限な時間しか与えられていない我々は時間をそこに割くべきではない、とのことだ。
『本を読む本』では、4レベルの読書法を紹介しながら、精読の必要がある本はごく少数で、ほとんどの本はつまみ読む程度で十分、ということを言っている。
どちらの本も、大量の本が出回っているけど本当に読むもの・考えることに集中しよう、ということを言っている。
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どの本だったか忘れたが、新規性バイアス(新しいものほど正しいという錯覚)というものが紹介されていたように思う。新しく出る本にはキャッチ―なコピーとインフルエンサーの紹介文が付されており、さらに本の著者はその本を評価する声をリツイートしまくるから、あたかもみんながいい本だと言っているように聞こえる。新しい本はどんどん魅力的に見えてくる。
でも、自分の思考体系が整理されており、また地の思考力が一定程度あるなら(一定ってどのぐらいだよ)、新たに読む必要はないのでは。
また、世に大量の本が出回っているが、結局言っていることは何も変わらなくて、各人が「僕の考えた最強の○○」を展開しているか、「○○を僕なりにかみ砕いて説明してみました(同じことは既にいろいろな人が言っているけど)」というパターンがほとんど。
やはり、あるトピックについて理解を深めたい、いっぱしのことが言えるようになりたいと思ったときに、「僕が考えた最強の○○」「○○な僕がまとめてみました」という本を読んでも仕方ない、というかキリがない。歴史の評価に耐えた本を1-2冊読んで骨とし肉を作っておけば、有象無象の本を前にしても「あの本の劣化コピーね」「わざわざ時間を割かなくてもそのぐらい分かるわ♪」と言えるはず。
思考が停止しているほど、向こうからのアプローチに負けしまうんだよな。
結局、読まないといけない本はそこまで多くないのだ。