仕事なんて生きがいにするな
ここ数か月、本当に仕事が大変だった。
過労死ラインを簡単に超えてとにかく仕事だけをしていた。
仕事をしているか、仕事のための勉強をしているか、仕事からの疲労を取り除くために休息をするか、そのいずれかの生活をしているかだった。
寝不足とストレスから心身は摩耗し、クライアントと会話するときには手が震えていた。
手が震えているのを見て、自分が考えている以上に自分の心身が削られていることに気付いた。
プロジェクトが終わってからは有休をとって体を休めている。休みながら、身の振り方を考えたり*1、自分の幸せってなんなんだろうな、なんて考えていた。
そんな中で読んだのがこの本。
kindleセールで半額になっていたからちょうどいいなと思ってぽちった本。
気休め程度になればいいかなと思ってぱらぱらとめくってみようかと思ったら、思いのほか良書だった。というかこれは今の自分にドンピシャで刺さった本だった。
- 中年の危機が若年化している
物質的に充足した現代において若者が食っていくことをモチベーションの源泉にすることは難しい。食っていくことでなく、仕事自体が目的となるような仕事をしたいと思っているが、そのような仕事に就けていない若者は悩む - 人生の意義でなく人生の意味を自分で作る
人が生きる意味を感じられるのは、決して価値あることをなすことによってではなく*2、心/身体が様々なことを味わい喜ぶことによって実現する - 断片化された労働にあふれたこの世の中じゃ、既存の選択肢の中を探し回ってもキリがないし、天職には出会えない。一人の人間にとっての理想の姿は、一つの労働の枠に当てはまるようなものではない。
- 人生の意味を見出すこととは、日常を遊ぶこと・味わうことである
非日常・特別な日だけを楽しむ生活では、残りの日常生活がつまらない。勤勉で禁欲的であることを美徳とするのではなく、人生も熱中して遊び味わうべきだ。ただしそれは成熟した遊びである。人の頭脳を駆使した遊びである。それが芸術であり革新である。人生を味わうのは容易ではない。 - 日常を遊ぶためには、自分の行動を即興に委ねることと面倒臭いことを積極的にやってみること。
私たちは、もはや「何者かになる」必要などはなく、ただひたすら何かと戯れてもよいのではないか。それこそが、「遊び」の神髄だと思います。
このブログのタイトルも、自分が何者かになりたいという欲望に基づくものだった。(この欲望はマズローの欲求五段階説の一番上のものだと思うから、別にそれ自体は自然なことだ)
自分が何者にもなれていない、今後もこのままだとなれそうにない、ここで何とかしなければいけない、と思うことがたびたびあった。
だがそもそも何者かになるというのは呪いであるとも言えるし、最終的に何者かになるにしても、それはレッドオーシャンをサバイブすることによって達成するべきことではない。(ブルーオーシャンを淡々と生きた結果としてなんらかの第一人者になるということは十分できることだ)
人生は仕事だけで構成されているわけではない。仕事も、趣味も、友人たちとの暮らしも、パートナーとの生活も、すべてトータルで見た幸せを追求するべきなのだ。(もちろん、長期で勝っていくために今集中的にスキルに投資するという手もあるけど)
プロフェッショナルキャリアって結構レッドオーシャンだよな。