Alexa、僕はあの日夢見た僕にはまだなれていないんだ。

SHIROBAKO感想(劇場版のネタバレあり)

劇場版SHIROBAKOを見てきたので、感想。

この3-4日ほど、NetflixSHIROBAKOを見ていて面白かったため、劇場まで足を運んでみた。幸いチャリで行ける距離の映画館で上映していたので、仕事終わりに寄ってみた。

以下、アニメシリーズと劇場版を合わせた感想。

ネタバレも一部あるから、気にする人は見ないでね。

 

 

みゃーもりのお仕事すごい(制作/デスク/プロデューサー)

主人公のみゃーもりはアニメの制作のお仕事から始まって、デスク、プロデューサーと肩書が進んでいくんだけど、これがまた大変な仕事だなと思う。

僕が苦手な仕事の一つに関係者間の調整という仕事があって、つい面倒で人に任せがちだし改めないとなあと普段から思っているわけですが、*1

その大変な調整という仕事を、さらにスケジュールぱつぱつの状況で多数の関係者を巻き込んで行うというのがみゃーもり。

しかも、見ていると結構な敏腕ぶりで、本当にすごい。

女性的な柔らかさでみんなにお願いして協力を得ながら、ときには飴と鞭で監督はじめ制作メンバーを動かしていき、アニメ制作という一大プロジェクトをドライブしていく。とても見習いたい。本当に見習いたい。

 

いい作品の条件① 自分の体験や感情と融合して、「My特別作品」になる

いい作品の条件はいくつかあると思うんだけど、その一つに、自分の過去の体験や感情と融合してその人にとっての特別作品になるということが挙げられる。

調整能力を身に着けねばならぬと思っている僕にとって、みゃーもりの仕事ぶりはアニメながらすごいと思った。それは、僕の体験や考えと作品が融合して、僕の中で登場人物の株が上がったからなんだよね。

あと、アニメシリーズにはまったのは、自分と同じ社会人1-2年目だったからというのもある。(もしかしてこの層をターゲットにしているのか?)

後述もするけど、アニメシリーズで描かれているのは将来に対する不安だ。この作品は、可愛い女の子のUIをかぶり、目の前のトラブルに見舞われつつも諦めるなんて選択肢は考えずになんとか乗り越えていくというストーリーで進んでいくが、そこに底流しているのは将来に対する不安なのだ。

5人が抱えているのは、昔からもっている夢(なりたい職業)はあるけど、その仕事に就けるのかわからない不安。仕事は始められたけど、できないことばかりで落ち込む日々。どうやったら認められるのかも分からない。

そういうところに強く共感している中で彼女たちがそれでも腐らずにチャレンジし、自分にできることをしっかりやっていき、最終的に小さくも報われる、という展開にカタルシスが生まれ、自分も嬉しくなる。

 

いい作品の条件② 葛藤や心情の描写が共感的(それさえクリアされればUIがファンタジーでも美少女アニメでもなんでもよい)

もう一つ、いい作品の条件があって、それは、人が抱く葛藤や心情を強く描いていることだと思う。

ファンタジーの皮をまとっていたり、美少女アニメの皮をまとっていたりすることがあったとしても、そこに普遍的な心情が強く描かれているのであれば、その作品は胸を打つものになると思うんだよな。(十二国記はまさにそんな作品だった)

この作品で描かれているのは、主人公たちの将来に対する漠然とした不安だ。この先どうなるんだろう、仕事はもらえるんだろうか、もらえ続けるんだろうか、という不安。

2014年のアニメシリーズで夢を追っていた5人は、5年経った2019年にはそれぞれ一人前の活躍をするようになっている。彼女たちは自分が積み上げてきた歳月と、今得られている評価によって自信と自負を持っている。

しかし一方で、少しでも気を抜くと仕事が回ってこなくなる、少しでも気を抜くと現場が回らなくなるという不安も抱えている。

この点はアニメシリーズとは違う点で、当時彼女たちが抱いていたのは、そもそも仕事にありつけない、何をしたら認められるのかわからない、という不安だった。月日が経ち、着実に成長しているのだと分かる。よかったね君たち、と何目線か自分でもわからないが嬉しい。

*2

 

心情を言語化するためには語彙を獲得せねばならぬ

常々、言語化能力の高い人間になりたいと思っていた。

僕が関心を持っている言語化の対象は、心情と作品である。

自分の心情を言語化できるとは、その気持ちを表現する語彙を持っているということだ。「ここで主人公たちは負けるんだけど、負けて勝つみたいな。。もっとカタルシスが足りないのかな」というようなセリフが劇中に登場するが、「カタルシスが足りない」という発言は僕からはスムーズに出てこない。

カタルシスという単語自体は意味も分かるが、カタルシスを多寡が測れるものとしてとらえたことがない。故に、この表現は自分の中には生まれてこない。

 

あと、「俺たたエンド」っていう表現、めちゃくちゃ気に入った。「俺たちの戦いはこれからも続く!」という締めで終わるアニメシリーズの終わり方の表現。こういう、あああれねってなるような現象に名前を付けていくというのは、大変に有意義な精神活動だよね。

 

作品の良さを形容するためには、比較できなければならぬ

いい感想とは、それを何かと比較してそのものの特徴を抽出できるものだと思う。

なぜなら、原理的な命題として、これはこういう性質のものだ、という言うためには、他のものは違うのだということを言えないといけないからだ。

この作品の中でも、○〇は△△に似ている、〇〇の時とは結構違う、みたいなセリフが登場するが、それが言えるのは比較対象があるからだ。比較することによって特徴は具体的に明示される。

 

アニメの表現って幅が広い

劇中では、「あ、ここはなんとなくCGクサい感じがする」「お、急に和のテイストになったな」「ここはコメディだからか劇画的だな」「ここはシリアス感を出すために音楽が引いたな」とかいろいろ感じられた。

特に「ここはCGクサい感じがする」や「ここは意図的に和のテイストにしたのか」というのを考え出すと、意図的に作り出せるアニメの表現の幅って広いんだなと感じられた。

アニメづくりの話を見ているから、そういう演出にも気が回ったのだと思う。

 

【参考】みゃーもりの髪の毛

みゃーもりの髪の毛、なんか茶色の表現が浮いてない?って思っていたけど、こういうことだったのね。

「最終話放送後の打ち上げでお会いでき、皆さんが『よかった~』と言いながら輪になって、達成感にあふれている様子が印象的で、青春だな~と。その時のスタッフさんたちの髪が伸び放題だったのですが、宮森さんもプリン頭なので、そこはリアルなんだなと実感しましたね。でも後日、取材で(制作会社の)ピーエーワークスさんにお伺いする機会があり、その際は髪型もスッキリ整えられていました!」

*3

 

【参考】タイトルの意味

SHIROBAKOってどんな意味なんだろと思ったら、

タイトルの『SHIROBAKO』は映像業界用語の「白箱」に由来し、「白箱」は作品が完成した際にスタッフら関係者に配られるVHS(ビデオテープ)を意味する。ビデオテープをパッケージのない白い箱に入れていたことから「白箱」と呼ばれているが、現在はDVDが主流。 

ということらしい。

*4

 

*1:PMOという仕事があって、僕が嫌いだったお仕事だったんですが、最近はPMOこそ関係者の多い組織でプロジェクトをドライブしていくのに必要なスキルだと思っている。調整という仕事は、大変に難しく、重要な仕事だ。ところで、19年かかったというみずほ銀行のシステム刷新プロジェクトは、ベンダ1000社に対するPMOの仕事があったという話を聞いて全俺が震撼した

*2:ずかちゃんは声優の仕事がもらえているし、ライター志望だったりーちゃんは売れっ子になった。車しか書かないCG会社で燻っていたみーちゃんはチームリーダーになっている(後輩との付き合い方について悩んでいる風もあり、親近感が湧いた)し、えまはアニメーターとして成長し作画監督に。みゃーもりは完全に現場を回せるようになっている。

*3:

 

*4: