Alexa、僕はあの日夢見た僕にはまだなれていないんだ。

行き場を失った青雲の志がふたたび頭をもたげている

大学時代に学生支援を行っている団体から奨学金をもらっており、奨学生のその後ということで現在の活躍を聞かせてくれと寄稿を頼まれた。

ちょうどいい機会だと思って、奨学生になる前(つまり高校時代)から奨学生時代、そして社会人になってからのこの2年を振り返ってみた。

 

青雲の志の芽生え

昔から、世の中の負を解決したいと思っていた。対岸の火事にしてはいけない問題があると思っていた。対岸まで行って、火を消しに行くべきだと思っていた。

小学6年生のときの担任から、「君たちが平和な国で飢えることもなく暮らしているのは全くの偶然に過ぎない。君たちは何の努力もせずにたまたま日本に生まれ落ちた。一方では戦禍や飢えに苦しむ子供たちがいるのであり、彼らに対して何かできることを模索し続けねばならない」というようなことを言われたのがなんとなく頭に残っていたのだと思う。

中学3年生の頃だろうか。国連職員になりたいという夢を考えた。確か、高校入試の面接でも将来の夢を聞かれ、そんなことを答えたような気がする。

高校生の頃に読んだクーリエジャポンという雑誌で、外資コンサルティングや金融での実務経験を経て国際協力の仕事に就く人たちの記事を読んだ。日本経済に対する悲観論を目にして、自分に何かできることはないのかと思い始めたのもこの頃だ。

高校の頃に君たちは未来を担う人間だと言い聞かせられていたので笑、そういうことばかりを考えていたような気がする。

 

青雲の志が行き場を定められず彷徨い始めたころ

一浪して東京の大学に入学した。受験は頑張ったので、大学名でコンプレックスを持つ必要のない、第一志望の大学に行けた。これは本当に嬉しかった。

田舎から東京に来るとき、自分が何か大きな物語の主人公みたいだと思った。ここから自分の物語が始まるのだと思った。

古今東西、優秀な若者は都会に集まるものだ。新しい出会いに胸が高鳴ったし、田舎に生まれ世に出た過去の偉人に自分をなぞらえては、自分のこれからに興奮した。

 

大学時代は、長いようで短かった。

サークルやバイトや、周囲との人間関係で様々な喜怒哀楽を経験した。せっかく東京に来たのだからとお洒落もしてみた。

旅もした。大学時代のうち3-4か月は外国にいた。非常にいい経験だった。

若い時代の人格陶冶という意味で、良い時間を過ごしたと思う。

 

ただ、この頃は少し焦燥感を抱いていた。

物語の主人公というからには、何かと出会い、何かを達成し、何か天啓を得るものでは?

もちろん、受け身でいてもそんなものはないとは百も承知だったが、劇的なものはなかった。上述の通り、そんなに珍しくもない大学生活を過ごした。

 

何かと出会ったか?これはYESだ。

学友は総じて優秀で、彼らとの出会いは間違いなく僕の人生で特筆すべきものだ。大学以外の出会いも、大変充実していた。出会いという点では、僕の人生は一貫して恵まれている。*1

 

何かを達成したか?NO。

大学生にもなれば一つのトロフィーを巡って皆で競うということはないものだが、SNSを見れば優秀な同期や後輩が何かしらのトロフィーを獲得しており、それと比べては焦っていた。(そもそもそんな勝負の舞台があることも知らなかったし、知ったところで挑戦をしようとも思わなかったのに、だ)

 

何か天啓は得たか?NOだ。

大学一年の頃からキャリアイベントのようなものには行っていたし、いろいろな方向に振れる興味に沿って勉強もいろいろしてみたが、自分が何をしたいのか、その解像度はあまり上がらないまま時間だけが過ぎていった。

 

ほかに焦燥感の原因を特定するなら、人生充実度コンテストに無意識に参加してしまっていたことだろう。

この頃は、SNSでみんなの人生充実度コンテストの模様を眺めて、自分も何かしなければと焦っていた。(大学4年の頃に一月ほど旅をして自分を見つめ直し、そのコンテストを眺めることの無為を感じ、降りた)

 

社会人一年目、完全に志が行き場を失う

とにかく内定をもらった外コンで働き始めた。しかし、一年目なんて右も左もわからず、怒られ続けるもの。今やっている仕事が何につながるのかも、今挑んでいる課題の大きさも、全くわからない。

分からないものには、価値を感じない。

この仕事でいいのかと自問する日々が続いていた。でも、自分がしたい仕事が他にあるわけではない。何かを解決する術を見つけられぬまま、一年目は鬱々として終わった。

行き場を失った青雲の志は、自分の奥深くで眠りについて、そして僕からは見えなくなってしまった。

 

社会人二年目、自分の仕事の意義を理解し始める

社会人二年目の終わり、自分の仕事の意義が分かるようになってきた。

ビジネスに対する理解が深まったことで、自分の仕事を経営戦略や企業価値と結びつけて理解できるようになったからだ。

「レンガを積む仕事をしているのではない、人を守る城塞を作っているのだ」と思えるようになったからだ。そうであればこそ、日々のちょっとした仕事にも意味を見出し、やりがいをもって仕事に取り組めるようになる。

それから、世の会社があんまりイケてないのだと分かったことも大きい。所詮は一年目、二年目のぺーぺーであるが、そんな僕でも改善できるぐらい、世の会社というのはイケてないものだということが分かった。

あと、何かプロジェクトを推進するということが、こんなにも調整が必要で、こんなにも考えることがあるのだと分かり、何か一つやるのにもこれほど大変なのだと分かった。

であれば、自分の仕事も確かに意味があるようだ。

 

ここで冒頭の、何か世の中の負を解決したいという気持ちに戻る。

例えば貧困を撲滅するというのは今の自分には遠いテーマだが、もしその解決に乗り出そうと思ったら、今やっているように課題を定義し、いろいろな文献も参照しながらソリューションを決め、関係者と調整をつけ、進捗を確認し、自分にできるイケてないところから解決に乗り出すのだろう。

そういう、解決する術というのが、なんとなく身近になった気がするのだ。そう思えるということは、過去の自分の職業選択が無駄ではなかったということだ。

だからちょっと嬉しい。

 

行き場を失い僕の中で眠っていた青雲の志は、目を覚ましたような気がする。

まだどこに行くかが分かったわけではないが、この道のりはやがてどこかにたどり着ける可能性があるのだと分かった。

そのことが、無性に嬉しい。

 

*1:吐くまで飲んで先輩達と語り合ったこと。徹夜明けのカップ麺がおいしいこと。徹夜で勉強してコンビニまでエナドリを買いに行くときの澄んだ空気と朝焼けがきれいなこと。窓から差す西日で廊下が輝いていることに寮の友達と歓声をあげたこと。ごはんのおかずが少なくて不平を言ったこと。徹夜で麻雀をして翌日の授業を諦めたこと。彼女と電話をしたまま眠りについたこと。彼女からのプレゼントで思わず涙が流れたこと。競ってトロフィーを得ることとは別の幸せの形を見つけたこと。今夜の晩ごはんのおかずをスーパーで買った帰り道、夕暮れに照らされた彼女の横顔を眺めること。

幸せとはそういうことだ