『白銀の墟 玄の月』読後感(ネタバレ注意)

十二国記で描かれる心理描写がとても胸に沁みる、という話。

 

 阿選麾下の友尚は、阿選が驍宗暗殺に際して友尚ではなくごろつきの烏衡を用いたことに反感を覚えていた。なぜ烏衡なのだ、と。

「友尚は阿選にそんな道に踏み込んでほしくはなかった。ゆえに加担することには強い抵抗を感じただろう。—しかしながら、だからこそ、自分を使ってほしかった、という思いはある。矛盾するようだが、たぶん友尚は阿選に説得されたかったのだろう。(中略)―お前にしか頼めぬ、と言われたかったのかもしれない。」18章より。

 

これだよこれ。これが人間というものだ。この多面性が、大河をなす一滴の雫の本性だ。

尊崇する主に対して、罪人に堕してほしくない思う。それは主に対する忠誠ゆえだ。

自分も加担することには抵抗がある。それは同義心ゆえだ。

しかし、主が罪を犯すのであれば、それにはきっとやむを得ない理由があるのだと理解するし、それがどんな理由であれ結局自分は主を信じ従う。それは、自分と彼がともに過ごした時間の重みゆえだ。

そして、それほど重大な罪の共犯者には自分を選んでほしかった。それは、自分の彼に対する信頼が一方方向であってほしくはないという気持ちゆえだ。

 

最近Twitterや、お手軽な漫画や小説やらにどっぷりつかっているのか、人間の単一の側面にしか目の向かないコンテンツに浸っていたようだ。この人間の多面性を言語化し味わえていない。

単一の感情では物語に深みが出ない。そうした単調な物語ばかりを摂取していると、僕の世界のとらえ方も深みのないものになってしまう。

複雑な感情をとらえ描く作品というのは、大変心地よい。

意識してそうした作品の摂取をしていきたい。