Alexa、僕はあの日夢見た僕にはまだなれていないんだ。

十二国記を通して独立不羈の生き様と自分の責任で自分の人生を生きるということを学ぶ。

最近は、十二国記という作品にはまっている。

11月に十数年ぶりに?シリーズの新刊が出たとのことで、数年来のファンは大盛り上がりをしていた。

書店でも大いに取り上げられていたものだから、気になっていたし、せっかくの機会だからということでまずはアニメシリーズを見始めた。そうすると、これがなかなか面白くてすっかりはまってしまい、アニメ化されていない分の小説を大人買いして読み始めた次第。

 

作品全体に底流しているのは、このエントリーのタイトルにもある独立不羈の心。それともう一つ、自分の責任で自分の人生を生きていくということ。

 

この作品では、様々なキャラクタが自らの不遇を嘆いている。それらの中には、ある意味仕方のない不幸や、理不尽と言える困難に見舞われている者たちもいる。

しかし、この小説の中の登場人物たちは、ただ嘆くだけの人々にときに厳しすぎるのではないかと思うほど、自分の生に責任を負うことを求める。

 

 

 

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孤児の清秀は、いわゆる不幸マウントをとる鈴を厳しく批判する。
本当に苦しかったら、人間はそこから抜け出すために必死になる。抜け出さなかったのは、姉ちゃんは不幸に気持ちよく浸ってただけじゃないのか。そんなやつにどうして同情してくれるのさ。 

 

 

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乱心し政治を乱した王の娘にも、その責任はある。何も知らされていなかったとは言え、罪であることには変わりないのだと、隣国の女王は、厳しい態度を貫く。
父親をたしなめる分別ももてず、遊んでくらしていた愚か者をあわれむ慈悲なんて、持ち合わせがないの。麒麟じゃないから。

 

 

 

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楽俊もまた、王の娘は無条件の厚遇を得ているからこそ、その対価として政治への責任を果たす必要があると説く。自分を厚遇してくれている世間の現実を知ることが、責任を果たすことの一歩目であるということなのだろう。
「知ってなきゃいけなかったんだ。公主の祥瓊より、おいらの方が芳に詳しい。それって襤褸を着るよりも恥ずかしいことだって、分かってるか?」「毛織物の服は恥ずかしいかい?けど、世の中のほとんどの人はそれを着てる。誰もそれを恥じねえのは、それが自分の手で働いて得た最上のものだからなんだよ。」「なんの努力もなしに与えられたものは、実はその値打ちぶんのことをあんたに要求してるもんだ。 」

 

 

 

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珠晶は、「大人が行かないのなら私が蓬山をめざす」といい昇山し供王となったのだった。

 「あたしは子供で、国の難しい政のことなんて、なんにもわかりゃしないわ」「それが分かっているなら、なぜ昇山するんだい?」「義務だと思ったからよ!・・・国民の全員が蓬山に行けば、必ず王がいるはずよ。なのにそれはしないで他人事の顔をして、窓に講師を填めて格子の中から世を嘆いているのよ。—ばかみたい!」

 

 

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俺は、俺の人生に責任をもっていただろうか。ベストの選択をしてきただろうか。

責任を果たすとは、なかなかに難しいことであるが、やっていかなければならない。